かちわれろぐ

ひびわれでちょっとやりづらい話題など

表に書いた推しの話(B面)

何故推しを作れないのか

『推し』について考えに考えた結果、心の奥底に眠ったまま、当時のままの推しは確かにずっと居るな、と。
ROで知り合った相方さんが『推し』なんだと思う。
どう表現していいのかわからないのだけれど、あの人に出会ってから、色々な『作られた綺麗さ』の全てが噓のようにしか見えなくなってしまった。
凄いなあ、もう10年ぐらいは離れているのに、未だに当時の事が頭に残っているなんて。

『恋に落ちた』のとはっきりと違うのは、『自分のものにしたい』ではなかった事。

ROを引退した後も、あの頃はいくつかのゲームを転々としてよく遊んでいたのだけれど、今はもう出来る事もなくなってしまった。
私の仕事が多忙になり、少しずつオンラインゲームを一緒に遊ぶことも出来なくなり、当時繋がりのあった環境からお互いが離れてしまった。
その後どうしているのかな、と気になってはいるのだけれど、もう当時の連絡先(メールアドレスぐらいは知っていました)は使えないのだろうし、あちらもアクセスしに行く事もないのだと思う。
私がそうであるように、あちらにももう家庭があることだし、忙しい日々を送っているのだろう。
あまり積極的に不特定多数の人間と関わりを持とうとはしなかったし、私のようにSNSはやっていなかった。

過去は過去のものであり、現在進行形の推しにはなり得ないけれど、あの人以上に私の心を持って行った人は居ないし、これからもないのだろうなあ…と、今でも思う。